「真の命に進み出る」 08.08.03
ヨハネ福音書 11:11〜32
「ラザロ、出てきなさい!」と、主イエスは大声で叫ばれます。
その時のラザロは、病気で死んで、墓に納められていました。
しっかりと死に縛り付けられていました。ラザロ自身も、周りの
者も、病気が回復することを願っていました。しかし、それは
叶いませんでした。人は、死に対して実に無力です。死の力の
大きさの前では、諦め、嘆き、涙を流すことしかできません。
しかし、主イエスは、愛する者が死に縛られている状態を良しとは
されないのです。諦めることをなさいません。そこから、ご自分の
前へ出てくるようにと、大声で呼び出されます。
その時のイエスさまは、心に憤りを覚え、興奮しておられました。
それは、愛するラザロを墓に閉じ込めている死に対する憤りでした。
そして叫ばれました。「死から出てきなさい。そんな所にいなくても
良い。わたしの前に出てきなさい。わたしが真の、永遠の命を
与えるから!」 そう、大声で呼びかけられたのです。主イエスの
叫びが響く時、死はラザロを解き放ちました。ラザロは、「わたしは
復活であり、命である」とおっしゃる主イエスから命を得ました。
私たちも、いつか死の床に眠る時があるでしょう。けれども、死の
支配下に置かれてしまうのではありません。主イエスがラザロに
なさったように、「○○○、出てきなさい!」と、主イエスに名を
呼ばれる時を待つのです。復活の命の希望を失う必要はありません。
絶望という罪ではなく、真の命を与えてくださる主イエスへの信頼と
いう信仰をもって、生きる時も死ぬ時も歩むのです。これは大きな
幸いです。
聖書は、神さまから離れた罪の生き様(ざま)も「死」とみなします
(ルカ15:32、エフェソ2:1)。
この世の生活の中で、墓の中で死んでいるような、愛を失った
愚かな姿に陥ることがあります。
「出てきなさい。わたしと共に、神の民として生きよう!」と
大声で呼びかけてくださる主イエスに目を覚まされて、救われ、
愛を知らされた者として、主と共に歩むのです。